そろそろ庭の木を切るので伐採時期を検索していましたら、「大つち」とか「土用」の文字がありました。
どちらも暦に書かれている様で「土公神(どこうしん)」という神様が土に居るため、土を動かせてはいけない様です。
内容はいろいろ書いてありましたが、なかなか興味が沸かないので、「耕作」などの歴史を見ていましたら、「農耕」には罪深いところがあると感じました。
農作業は作業時間が長いイメージがあります。
機械化される以前は尚更です。
収量を上げるには、そうなります。
富に対して欲が出ます。
そんな中、「大つち」「土用」などがありますとある意味、農作業の一服になります。
私の様ないい加減な家庭菜園でも、晴れた日は畑に出なければいけないと言う強迫観念があります。
「農耕」以前の「狩猟」の生活ではいろいろな理由でのんびり出来る時間もあった様です。
昔と違い、今は食べる事にそれ程苦労はしません。
そんなに物事に拘らなければ、もっと楽に生活が出来ます。
何処まで柔軟な考えになれるかが問題ですが。
今日は、今までスマホを見ていたので、今から少しの間ですが鍬を持って畑に行きます。